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自由の尊重 アイコン画像自由の尊重

日本の伝統的な子育て、教育方針は、どちらかというと、大人から子供への一方向教育が中心で、なかなか子供の意思は反映されにくい現状があります。予め道が決定されており、やるべきこと、やってはいけないことを上から押さえつけるだけの教育では、せっかくの能力も発揮するチャンスを生かしきれません。

子供は大人と同じく、一人の人間です。たとえ親子であっても、全く異なる人格を持つ人間として尊重されるべきなのです。心身ともに健全な人間というのは、精神において自由であり、誰にも邪魔されず、内側から湧き出る欲求と研究により、生きる知恵を磨きます。そして、それは同時に、周りの人々にも等しく保障されるものであり、そのためには自我を抑え、他者を思う心の豊かさも持ち合わせていなくてはなりません。

日本はどちらかというと、自我を抑える教育を徹底します。それが故、モンテッソーリの理念は、自己中心的でエゴイスティックな子育て方と誤解されている方もいらっしゃるため、ここで一度、正しい意味での自由の尊重について考えてみたいと思います。

そもそも“自由”とは

モンテッソーリ教育における「自由」についてみていきましょう。

人間は同じものを見たり聞いたりしても、感じ方や考え方がそれぞれ違います。興味を持つ対象ももちろん違ってきますから、それを見たり触ったりすることで、よりその分野への理解と知識が深まります。こういった心の動きは、自然発生的に湧き上がる現象であり、それを止める権利は誰にもありません。子供にも「やってみたい!」「自分で出来る!」という意思がありますから、そこを妨げず、本人の決定によって行わせるのが自由なのです。

しかし、人は一人ではない以上、その意思が必ずしも通らない場面が出てくる場面に直面します。やりたいお仕事が別の子供に取られていたらそれは諦める。そして次に自分が興味のある分野を見つけ出し、違う作業に没頭する。そこで生まれるのは「譲る心」や「諦めの心」です。

自由とはまるで、ルールも規律もない無制限の世界と誤解されがちですが、モンテッソーリ教育においての自由の尊重とは、こういった「秩序ある自由」を指し、自分と他人が上手に生きていくためのマナー教育という意味でも大変効果的なのです。

善悪の判断、自由とわがままの線引き

物事や行動には善と悪があり、その線引きは大人がきっちり示して見せる必要があります。子供は大人が示す行動や発言、そしてそれに対する周りの反応で善悪を判断していますから、間違ったことはダメとしっかり言い聞かせる必要があります。

子供は間違ったこともそれが悪だとは知らず、純粋に行動を起こします。これはモンテッソーリ教育における「観察」により、しっかりと見つけ出し、その都度教えてあげなければならないのです。決して自由=放任ではないということを理解して頂きたいものです。

また、子供主体の教育法であるモンテッソーリ教育では、決定も行動も基本的に自由でありますから、人によっては「子供の欲求に全てこたえること」を自由だと勘違いされている方もいらっしゃるようです。もちろんそれは違います。自己制御や周りとの協調は生きていく上で最も重要なもの。自由とわがままの線引きもしっかりしてあげることで、子供はやがて、真の意味で自由を獲得するのです。

自由と責任、そして断念の経験

モンテッソーリ教育において、自由の尊重が個人の自立を促すものとして高く掲げられていますが、そこにはしかりと「責任」というものがセットであることを分からせる必要があります。

責任を伴わない自由は、すなわち無秩序を意味するだけで、そこに何の価値もありません。真の意味で自由とは、自由を獲得する上で、自分なりの、あるいは周りに対する配慮を加えたルールを遵守し、最後まで一貫してやり遂げることを意味します。あくまでも、今出来うる可能性の中での自由選択であり、強引に推し進めることでもなければ他者を押しやってまで獲得すべきものではないというものなのです。

そして断念の経験も重要です。人は思うようにならないことにフラストレーションを感じるのではなく、それよりも次に出来る選択肢を見つける思考力と意識の傾けを培うことも大切なのです。

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